「日本」「ジャパン」の名前の由来。あなたは知ってますか? [国際]
突然ですが日本人であるあなたは、なんで「日本」とか「Japan」と呼ばれるようになったか知っていますか?
実は僕、知りませんでした。
20年以上日本人をやっていたのに・・・。
ふと気になったので調べてみました。
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◎「日本」の国号の歴史
日本人がこの国のことを「日本」と名乗ったのは奈良時代のことだそうです。
諸説あるそうですが、聖徳太子が日本の天皇のことを
日出処天子(ひいづるところのてんし)
=太陽がのぼる東の方の国の天子
と紹介し、このことが「日の本(元)」に存在する国となり、「日本国」と名乗るようになったという説が有力のようです。
しかし元来、日本の人は自国のことを「大和(ヤマト)」と呼んでいました。
そのため、「日本国」は当初「ヤマト」と読まれていたそうです。
◎「Japan(ジャパン)」とはどこから来たの?
ご存じのとおり我が国は、海外、主に欧米諸国から「Japan」と呼ばれています。
これはイタリアの商人・冒険家でもある、
マルコ・ポーロがが東方見聞録の中で、日本のことを
「Zipangu」
と紹介したことによるものだそうです。
ここまでは割と有名な話。
それではなぜマルコ・ポーロは日本のことを「ジパング」と呼んだのか。
実は、マルコ・ポーロは日本には上陸していなかったそうです。
彼が訪れたのはすでに大国として君臨していた中国。
当時の中国では「日本」のことを「ジーベン(リーベン)」と発音されていました。
あ、これは現在の中国標準語でもそう発音されているようです。
この「ジーベン」がマルコ・ポーロには「Zipangu」と聞こえたようですね。
マルコ・ポーロとは、今でいうイタリアですが、もともとはベネツィア国の人です。
なのでイタリアに伝わった時には「Zipangu」がなぜが「GIAPPONE(ジャポーネ)」となり、英語圏に伝わった時には現在の「JAPAN(ジャパン)」になった。
このように考えられています。
中国から欧米に渡った、まさに国をまたいだ伝言ゲームのようで面白いですね。
しかしもともとは中国の「ジーベン」から来ていたんなんて。
日本と中国はいろんな意味で切っても切れない縁なのかもしれません。
だからというわけじゃないですが、早く、日本と中国が仲良くなれるような世の中になれればいいと思いました。
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実は僕、知りませんでした。
20年以上日本人をやっていたのに・・・。
ふと気になったので調べてみました。
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◎「日本」の国号の歴史
日本人がこの国のことを「日本」と名乗ったのは奈良時代のことだそうです。
諸説あるそうですが、聖徳太子が日本の天皇のことを
日出処天子(ひいづるところのてんし)
=太陽がのぼる東の方の国の天子
と紹介し、このことが「日の本(元)」に存在する国となり、「日本国」と名乗るようになったという説が有力のようです。
しかし元来、日本の人は自国のことを「大和(ヤマト)」と呼んでいました。
そのため、「日本国」は当初「ヤマト」と読まれていたそうです。
◎「Japan(ジャパン)」とはどこから来たの?
ご存じのとおり我が国は、海外、主に欧米諸国から「Japan」と呼ばれています。
これはイタリアの商人・冒険家でもある、
マルコ・ポーロがが東方見聞録の中で、日本のことを
「Zipangu」
と紹介したことによるものだそうです。
ここまでは割と有名な話。
それではなぜマルコ・ポーロは日本のことを「ジパング」と呼んだのか。
実は、マルコ・ポーロは日本には上陸していなかったそうです。
彼が訪れたのはすでに大国として君臨していた中国。
当時の中国では「日本」のことを「ジーベン(リーベン)」と発音されていました。
あ、これは現在の中国標準語でもそう発音されているようです。
この「ジーベン」がマルコ・ポーロには「Zipangu」と聞こえたようですね。
マルコ・ポーロとは、今でいうイタリアですが、もともとはベネツィア国の人です。
なのでイタリアに伝わった時には「Zipangu」がなぜが「GIAPPONE(ジャポーネ)」となり、英語圏に伝わった時には現在の「JAPAN(ジャパン)」になった。
このように考えられています。
中国から欧米に渡った、まさに国をまたいだ伝言ゲームのようで面白いですね。
しかしもともとは中国の「ジーベン」から来ていたんなんて。
日本と中国はいろんな意味で切っても切れない縁なのかもしれません。
だからというわけじゃないですが、早く、日本と中国が仲良くなれるような世の中になれればいいと思いました。
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